西垣林太郎のピンポンカラーなブログ
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21:06 03月11日   [金]
記録(雑文)

1995年の阪神淡路大震災のときはそのときの社会科の先生が生徒に作文を書かせて文集にしてくれたので、自分の記録も他の人の記録も残っていて、今でも手元に持っています。貴重な記録になっていると思います。とはいえ、全体として追悼の趣旨ではあるものの、親を亡くした生徒の文は入っていない気がするし、もちろん亡くなった当人の文も入っていないのですが。同学年では親を無くした人が、他の学年で亡くなった生徒がいました。

そういえば、2011年の東日本大震災の記録はほとんど残していなです。特別なことはほとんど無い訳で、facebookもそれほどは活用しておらず、mixiも離れていて、twitterもromってた時代です。悲劇的なこと、本当に伝えた方が良いことは残りにくいバイアスがあるのをなんとなく知っているので、自分が大したこと無い記録を残すことで、それに加担するのが嫌という部分もあって悩ましいです。もっとも書きにくい内容もある訳で、非公開ででもどこかに残しておこうかとも思ったのですが、5年目の節目にこっそりと上げてみます。



2011年3月11日(金)東京都港区
レッスンに出かける直前でシャワーから出て来たところで地震。家族は座っていたので気付いたけど、立っている自分はしばらく気付かず。揺れ方は新潟の地震に類似していたので遠くの地震と思い甘く見る。でも徐々に大きくなっていくし、長く続く(継続時間とマグニチュードの相関の漠然とした知識は持っといたはず)ので不思議に思う。とりあえず、促されてパンツを履いて、机の下に退避。日本のどこかが大変なことになっているのでは、という意識はあった。被害はお皿1枚、子供が何故か便乗して1枚の皿を投げたので実際は2枚。

もし電車が止まっていても一時間ほど歩いて行けばレッスンは行けたので、その旨を先方に伝えたら、お子さんが学校で足止めになっているとのことでキャンセル。それはその通りで、学校も子供一人で帰らせる訳には行かない。

普段は見ないので仕舞ってあったテレビを出してくる。

夜に、六本木ヒルズへ行くが、閉鎖とのこと。

3月12日(土)〜3月13日(日)
書類仕事(確定申告など)などをし、もしかしたら通常の仕事も少しあったかもしれない(記憶が曖昧)が、恐らくは激減していて、比較的家にいた印象。3月13日(日)の夜か3月14日(月)の未明に関西行きを決める。関西に調整に出す予定の楽器をもって品川へ。品川の駅構内のモニターで3号機爆発のニュースを見る。新幹線はさほど混んでいなかったが、普段ならビジネス系の人が多い頃なのに、そうではなく子連れの人、外国人
が多かった印象。

3月14日(月)〜3月17日(木)
兵庫県神戸市の三宮のホテルに宿泊

3月18日(金)〜3月22月(火)
兵庫県西宮市の父の家に宿泊

3月23日(水)
東京へ戻る。新大阪駅のモニターで金町浄水場の汚染を知る。品川で荷物が多かった上に小雨も気になり、タクシーで帰宅。



感情の部分、収拾していた情報などは記憶の置き換わりもあると思うので、最小限に留めて単純な記録です。結果的に東京にやってきたプルームを避けるのにはほぼ最小限のコストで抑えたことにはなります。確かに放出の程度(絶対量は読めなかったけが相対的な増減)と天候はおおよそ読めていた気がします。水道水の汚染は想定外でしたが、特別な状態の悪化が無く、小康状態を保つなら最後の大規模な放出は終わっていると踏んで、仕事もあったので東京に戻りました。

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